成田氏と別符氏
国立国会図書館蔵絵図,絵図に見るくまがや展パンフレットから
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⇒「のぼうの城」
成田氏と別符(別府)氏
映画「のぼうの城」で石田光成の水攻めに耐えた忍城、成田氏が忍の大亟を攻め滅ぼして再築城したといわれていますが、それは別符氏の猶子となった、きくおう丸から始まった。これは道久の譲状から分ったことで、猶子を今の養子と同じにとるか、とらないかで違ってきてしまいます。でもこの譲状の文言では別符氏が領した本来の別府郷(現在の熊谷市)の安枝名でなく、「中条保」と「上江袋」の地を猶子の「きくわう丸」に与えています。譲状では、継ぐ嫡子に与える地名は書かなければその地の安堵状をもらうことができなかったと思われます。
成田系図には、安保氏が入ってきた以降、乱れがあるように思います。それを表しているのが下載の「道久の譲状」と思います。自分の子でない、成田氏の子を別符氏の猶子としています。
細かな内容は、下記の調べた資料を読んで見て下さい。これは私的に調べたことですので、間違いもあると思います。間違っていると思われるところなどがありましたら、メール下さいますよう、よろしくお願いいたします。
これまでの成田氏に関する研究などでは、成田系図や成田記などから成田氏や別符氏のことを調べていたように思われます。
どちらかといえば、成田氏中心の調べ方で、別符氏は隅に置かれていたと思いますが、後醍醐天皇や足利尊氏,足利成氏などの書状からみると、成田氏がもらった書状は見られず、別符氏のもらった書状が数多く見られます。
成田氏も鹿角や出雲に所領を得た文書もありますが、別符氏(西別符氏か)も来海の弘長寺を開基した文書もありました。
現在ネット上で見かける情報は、ただ本を読んだだけで、その情報を信じてそれを垂れ流しているようにも思います。じっくりと読んで